【お知らせ】WEB新書は閉店しました。

文化・芸能
朝日新聞出版

江戸の偉人再発見! 近松・万次郎・高田屋ら5人の子孫が語る秘話と秘宝

初出:2014年9月5日号
WEB新書発売:2014年9月11日
週刊朝日

このエントリーをはてなブックマークに追加

 人形浄瑠璃「曽根崎心中」の作者、近松門左衛門が残した黒い木箱から子孫がわかったこととは何か。北方交易で財をなした豪商、高田屋嘉兵衛の子孫の心境が複雑なのはどうして? ジョン(中濱)万次郎の子孫に、なぜルーズベルト大統領から手紙が届いたのか。ほか、日本の古文書を解し書も嗜んだという英外交官アーネスト・サトウ、間宮海峡を発見しアイヌの娘を妻にむかえたという間宮林蔵にまつわる秘話と秘宝を、人柄をも彷彿させる5人の子孫が披露する。

◇近松門左衛門/杉森家の古文書が入った真っ黒な木箱
◇ジョン万次郎/オバマ大統領も買った米国版「ジョン万次郎漂流記」
◇アーネスト・サトウ/幕末の英外交官が日本の妻へ送った500通の手紙
◇間宮林蔵/アイヌに残った血のつながり、肖像画に似た祖父のモチ肌
◇高田屋嘉兵衛/波瀾万丈の先祖の「遺産」、おかげで子孫は大借金…


近松門左衛門/杉森家の古文書が入った真っ黒な木箱

14代目・杉森マサ


 子どものときから、近松門左衛門の子孫だっちゅうことは、聞かされとるんです。門左衛門は、浄瑠璃を書く劇作家やろ。私が14代目やからって聞いたとき、やっぱり自分の心の中でちょっこり誇りを持ったわね。先祖の人に恥かかすようなことをしてはいかんっち、自分に言い聞かせて生きてきたっちゅうだけですけど。
 せやけど、詳しいこと聞かんさきに、うちの親が早う亡くなったんですわ。私が15歳のときに、お父さんが死んどるんや。そいで、お母さんが19歳のときに死んだんで、詳しいことはぜんぜん知らん。
 ただ、真っ黒な木箱があって、これは先祖の門左衛門の古文書やら入っとる。これだけは大事にせないかんよって言われて、それだけ覚えとったんで。ネズミにかじられてぼろぼろやけど、今もあるんです。


 13代目だったお父さんは、京都の清水坂で陶器の絵描きしとった。茶碗一つに絵を描いていくら、そんな仕事やわ。戦争中に白紙がきてな。赤紙やったら兵隊さんやけど、白紙よ。そう、徴用。舞鶴の海軍工廠っちゅう軍需工場で働くようになったんや。ほいで、行ってしばらくで、終戦の年の5月に亡くなったんです。過労やわ。ひどい目にあわされたんじゃわ。ただでさえ筆しか持たん人が。
 お母さんは髪結いしとったけど、お父さんが徴用されたら、私ら子ども3人連れて、石川県の農家をやってる実家へ疎開したんです。そいで、百姓を手伝ったら、3年半ほどで亡くなったんよ。やっぱり過労やね。体使いすぎやわ。
 18歳になったくらいから、あんたは長女だから婿さんをもろうて、門左衛門の本名の杉森っちゅう名字を残さないかんよって、お母さんからは言われてました。
 お母さんが亡くなったとき、私は19歳でしょ。14歳と8歳の妹が2人おって大変やったけど、半年ほどして婿さんをもらいました。お母さんの実家の人らみんながもらえっちゅうて、世話してくれました。
 でも、お母さんの実家の人らが門左衛門のことを知っていたかはわからんよ。婿にきてもらわんで、私が嫁に行ったら、妹2人ほったらかしになるやろ。それやと思うよ。
 お母さんの実家から2、3枚、自分らが食べるだけの田んぼと土地をちょっともらって、そこに小さい家を建てて住みました。そのときに、実家の2階に箪笥と一緒に預けてあった黒い木箱も持ってきたわけ。お母さんが疎開するときに持ってきてたんやね。


近松門左衛門

 10年ほどたったときやったかな。その小さい家に、門左衛門の子孫がどこにおるか調べてるっちゅうて、大阪市立大の森修先生という人らが3人でいらしたんです。門左衛門関係の古文書がないかって。調べさせてほしいちゅうんで、初めて黒い木箱を開けました。私、それまで中を見たことなかったんです。
 入っていたのは、系図や杉森家一族の名前が書かれた書類。おかげで、門左衛門が福井藩の侍の子だったということがわかったっちゅう話じゃわ。貴重な資料はぜんぶ10年前に鯖江市へ寄託したんよ。
 近松門左衛門のことは、妹にも言うてなかった。ここらの人って、田んぼがどんだけあるとか、山とかアパートをいくつ持っとるとかは自慢になるけど、こんなくだらんことしゃべったら、何をそんな偉そうなこと言うとるか、となる。そやから自分からしゃべらんもん。先生方が来るっち、自然と知られるようになったちゅうだけよ・・・

このページのトップに戻る