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朝日新聞出版

昭和天皇のインテリジェンス 情報網が語る戦後史

初出:2015年4月10日号
WEB新書発売:2015年4月9日
週刊朝日

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 「日本は精神的な核がなければ国家として存在できない」。昭和天皇周辺に情報を提供していたとみられる米国の元情報機関員が、終戦前後の日本をこう記述していた。昭和天皇には、これらの情報提供者が複数いたとみられている。満州事変以降、日本の政府や軍部は重要な情報を天皇に上げず、その権威だけを利用してきたとされる。昭和天皇が貪欲に海外のインテリジェンスを求めた理由は、かつての悲劇への悔恨だったのかもしれない。

◇国際的フィクサー・田中清玄、米国の元情報機関員/今の日本を見越した『予言』とは
◇週刊朝日掲載後、天皇に拝謁する
◇米国の知日派と天皇の側近通訳
◇天皇と政府の間 緊張が生じた時


国際的フィクサー・田中清玄、米国の元情報機関員…/今の日本を見越した『予言』とは

 今から33年前の1982年4月9日、午後5時を過ぎた頃、都内港区の都ホテル(現在のシェラトン都ホテル東京)に一台の車が到着した。周囲は白金の住宅街で静寂な雰囲気が漂う。後部座席から降りたのは一人の老紳士だった。
 年齢は70代後半、落ち着いた身のこなしが育ちの良さを感じさせた。
 エレベーターに消えた彼は、ある部屋の前でドアを叩いた。出迎えたのは同年輩の男性だった。古武士然とした容貌で目つきが鋭い。横には秘書兼ボディガードの若い男が控えた。
 老紳士の名は入江相政、昭和天皇の侍従長を務める宮内庁幹部だ。迎えた男は田中清玄、国内外の豊富な人脈で知られる右翼の黒幕である。二人は挨拶を交わすとテーブルを挟んで座った。秘書がホテルに電話を入れ、頼んでおいた料理とワインを運ばせた。
 それから約3時間、食事を取りつつ田中は入江に最近の国際情勢を説明した。中国やソ連、欧州の政治動向、各国指導者の近況など内容は多岐にわたった。
 側近を通じて天皇に情報を提供し、時には政府を介さないコミュニケーション・ルートを果たす。いわば昭和天皇のインテリジェンスというべき存在、その立役者の一人が田中清玄だった。
 世間では「右翼の黒幕」と呼ばれた田中だが、その足跡は波乱に富んでいる。
1906年、会津武士の子孫として北海道で生まれた田中は東京大学在学中、日本共産党に入党した。当時の共産主義運動は非合法で、書記長の田中は武装路線を取り官憲殺傷を引き起こす。その結果、治安維持法違反で逮捕され11年近くを獄中で過ごした。ところが戦後は右翼に転向して熱烈な天皇主義者になった。
 また土建業や海外の石油開発など様々な事業を手掛け、中国のトウ小平やアラブ首長国連邦のシェイク・ザイド大統領、インドネシアのスハルト大統領、山口組3代目の田岡一雄組長など絢爛たる人脈を築いた。1993年に亡くなるまで国際的フィクサーだった人物だ。
 その田中は独自に入手した海外情報を天皇に提供していた。入江侍従長の死後発表された日記がそれを裏付ける。
 例えば冒頭の1982年4月9日は「五時に出て都ホテル。食事を共にしつゝ田中清玄さんと話。中ソは絶対に手を結ばないこと。西独、ソ連寄りになる懼れありとのこと・・・

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