【お知らせ】WEB新書は閉店しました。

文化・芸能
朝日新聞出版

吉本興業もヤオハンも 創業を支えた明治の女傑

初出:2016年2月26日号
WEB新書発売:2016年3月17日
週刊朝日

このエントリーをはてなブックマークに追加

 テレビドラマなどの影響か、日本の近代を築いた女性実業家が注目を集めているが、商いを成功させた女傑にスポットを当て、その人物像を子や孫らに語ってもらった。吉本興業の礎を築いた吉本せいを孫の吉本圭比子さんに、大手スーパー「ヤオハン」(経営破綻)を夫婦で創業した和田カツを長男の和田一夫さんに語ってもらうなど、計4人の女傑を紹介する。


◇大阪の寄席から大芸能プロ「吉本興業」を築いた/吉本せい
◇天海祐希主演の「お家さん」で知られる大商社の女主人/鈴木よね
◇「おしん」のモデルと言われたヤオハン創業者/和田カツ
◇大資本で新宿・歌舞伎町をつくった女性実業家/峯島喜代


大阪の寄席から大芸能プロ「吉本興業」を築いた/吉本せい

孫・吉本圭比子さん

 私の祖父・吉本泰三はもともと大阪の荒物問屋の若旦那だったんですけれど、芸事が大好きで、芸人を連れて剣舞に興じて留守にしてばかり。折からの不景気もあって、明治44年頃に5代続いたお店を倒産させてしまいました。ちょうどその頃、天満天神裏の第二文芸館という演芸場の買収を勧められ、寄席を始めたのが吉本興業の初めです。


 祖母のせいをモデルにした山崎豊子さんの小説『花のれん』では、このとき主人公が「あなたの好きな芸事なんだから、やってみたら」などと後押ししたことになっています。でも、せいは晩年、「わてはそんなこと言うてまへんで」と周囲にもらしていました。かつて芸人は河原乞食と呼ばれ蔑まれていましたから、「荒物屋さんに嫁いできたのに、何が悲して芸能をやらなあかんのや」という気持ちだったと思います。でも、妻は夫に従うのが当たり前の時代。仕方なく実家に資金援助を頼み、2人で演芸場を開業したのです。
 大正2年に吉本興行部の看板を掲げた2人は、その後も演芸場を買収し続け、大勢の芸人を抱えるようになっていきました。泰三は、買収などの交渉に妻のせいを派遣していました。「女の色気を使うて、少しでも安くしてもろてこい」というのがその理由。若い頃のせいはべっぴんさんと評判でしたから、相当効果があったようです。


 大正13年に泰三が急死してから、34歳のせいは実弟の林正之助を片腕に、さらなる事業の拡大を図ります。嫌々始めた演芸の仕事ですが、商才に秀でていたこともあり、何とか主人の遺志を継がないかんと思い、だんだんのめり込んでいったんでしょう。昭和7年に吉本興業合名会社に改組し、東京支社も設立。大芸能プロダクションの初代社長として、昭和25年に他界するまで、府や国から数々の賞や勲章を受けました。また、政財界にも顔が広く、東郷平八郎さんや小林一三さんとは特に親しくしていました。
 せいは、芸人の心をつかむのも上手でした・・・

このページのトップに戻る