
原発事故直後、情報が錯綜するなか記者は被災現場周辺にいた。日増しに被曝の危険性は高まり、朝日新聞社はチェルノブイリ事故を参考に原発30キロ圏内から退避するよう記者に命じた。反発する記者もいたが、圏外からメールや電話で取材した。食料も情報も届かない被災住民は怒り落胆した。現場か、安全か……多くの朝日新聞記者の取材活動をたどり、11年7月の「原発ゼロ」社説掲載までの長い経緯と激論を紹介しつつ、原発と報道の責務を詳しく検証する。[掲載]朝日新聞(2012年11月21日〜12月27日、22100字)
1980年、子どもの教科書に書かれた「放射能漏れ」の部分に対し、文部省(当時)が出版社に「自主訂正」を求めた。検定後の異例の動きの背景には誰がいたのか。日本原子力学会は96年以降、教科書をチェックし「不適切な記述」を文科省教科書課や版元に提言している。目的は何か。さらに「朝日小学生新聞」など、子どもを対象にしたメディアは原子力をどう紹介してきたのか。エネルギー教育をめぐる推進側の動きとメディア側の対応を、日本の原発史をふまえつつ検証する。[掲載]朝日新聞(2012年11月2日〜11月20日、11600字)
鉄腕アトム、アラレちゃん……主に1970〜80年代、国や電力業界は子どもたちにとって身近な人気マンガを原発広告に起用し、メディアでPRした。米ソの原発事故から推進への反感が高まり、原発の必要性を子どもの頃から「啓蒙」する必要があった。有力漫画家を仲介し発行したのは「漫画社」。それはどんな会社で、漫画家はどんな思いで参加したのか。利用された反原発派の故・手塚治虫の困惑、エネルギー政策上は原発を容認する松本零士らの後悔の念などを伝える。[掲載]朝日新聞(2012年10月22日〜11月1日、8100字)
新聞社やテレビ局にとって電力会社は巨大な広告スポンサーだ。反原発の記事や番組をつくれば電気事業連合会の監視部門がすぐに「営業ルート」を通して抗議をし、「圧力」をかけた。敵対する反原発論者に対しては広告紙面で「封じ込め」を図る。そのたびにメディアの広告収入は増えた。電力業界が広告でメディアを「脅し」つつ原発推進を補完させた経緯を丁寧に追い、87年の「広瀬隆現象」や記者への接待など多くの実例とともに、両者のきわどい癒着を問う。[掲載]朝日新聞(2012年9月27日〜10月19日、14600字)
電力業界は多額の広報費を使い、マスコミの影響力を利用した。朝日新聞の元論説委員ら一部OBも「広報誌」編集に関与し、電力中央研究所の研究顧問に就任するなど、3・11までは推進側の期待に応えた。電力会社主催の海外イベントにも大手メディアが参加し、事故後の再稼動問題では反原発デモを批判した。報道関係者が広告料や不透明な報酬と引き換えに批判精神を後退させ、原子力ムラの一員として「安全神話」PRに加担してきた実態を検証する。[掲載]朝日新聞(2012年9月3日〜9月26日、15400字)
1979年3月28日、統一地方選のさなかに米国スリーマイル島原発事故が起きた。政治に変化は起きたのか。住民は大飯原発の再稼動に反対した。81年の敦賀原発事故、95年の「もんじゅ」事故などは、原発利権の追求、公開ヒアリング、署名運動、県民意識調査と民意を高め、放射線被害への拒否反応は「立地地元」だけでなく「消費地元」にも広がった。そして、今年の大飯原発再稼動問題。全国紙、地方紙を問わず、今後のメディアの姿勢、役割が問われる。[掲載]朝日新聞(2012年8月7日〜8月31日、17900字)
福井県の大飯町。貧しく不便な地域は原発誘致で裕福になった。だが、当初から反対派は健在だった。71年、関電との「密約」が問われた町長はリコール。76年、4年間隠蔽した関電美浜原発の事故が発覚するや、京大の「反原発6人組」も動き出した。そして関電が漁協に与えた「協力金」、急増する自治体への「寄付金」……。カネまみれの「原発銀座」が成立するまでの推進派と反対派、関電・自治体とメディアの攻防を、関係者の証言と当時の報道をもとに検証する。[掲載]朝日新聞(2012年7月9日〜8月6日、18600字)
1969年の原子力船「むつ」の大湊港への受け入れに始まり、東通、大間原発、核燃料サイクル施設、使用済み核燃料貯蔵施設など、全国でもまれに見る密度で「核」関連施設が集中する青森県・下北半島。30年前に青森支局員として第一線の取材に立った編集委員が、再び現地を訪ね、当時の関係者を回り、「原子力半島」の「これから」を探る(下)。[掲載]朝日新聞(2012年6月8日〜7月6日、20300字)
1969年の原子力船「むつ」の大湊港への受け入れに始まり、東通、大間原発、核燃料サイクル施設、使用済み核燃料貯蔵施設など、全国でもまれに見る密度で「核」関連施設が集中する青森県・下北半島。30年前に青森支局員として第一線の取材に立った編集委員が、再び現地を訪ね、当時の関係者を回り、「原子力半島」の来歴を探る(上)。[掲載]朝日新聞(2012年5月7日〜6月6日、21100字)
1973年、日本で最初の原発をめぐる住民訴訟が四国で起きた。85年、福井で「もんじゅ」をめぐる住民訴訟が起きた。いずれも提訴から20年目に敗訴となった。最高裁はいつも、行政判断・国の安全審査を「適法」としてきた。そして福島の過酷事故……。メディアは原発裁判をどのように伝え、司法のあり方をどう問うてきたのか。社説で、記事で揺れる報道現場の葛藤を検証する。2012年4月2日から朝日新聞夕刊で連載した「原発とメディア 司法」全22回を収録。[掲載]朝日新聞(2012年4月2日〜5月2日、20000字)
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